語学はなぜいるのか

人生100年 外国語学習一般

英語、ひいては外国語ですが、ペラペラ話せるようになることが第一目的ではないと思っています。

外国語で話すことや、外国人とのコミュニケーション、外国語でのプレゼンなどができることは、私が語学学習の目的としていることとはまた別の事業だと思っています。

英語で読む、英語で考えるというのは、自分の脳の引き出しを複層化することです。

自分という世界を幾重にも拡げること、と言い換えることもできます。

言語によって人間はものを見ることができ、考えることができます。言語をいくつも学ぶことで、認識や思考方法の幅が増えるのです。

わかりやすい例は、日本には「雪」を表す表現は限られているけれど、極地帯に住む先住民族の固有言語には、非常にバラエティ豊かな「雪」を表す表現があるという例です。

以下は、北欧やロシアに居住している北サーミ人の北サーミ語の「雪」を意味する表現の一例です。

ainnadat 新雪の表面のこと

cuohki 雪が降り積もった氷の層のこと

doavdnji そりやスキーで滑るのに十分な強さの積雪のこと

jodahat 移動するトナカイの群れが雪に残した跡

marahat 大きなトナカイの群れや人間の一群が踏み固めた雪のこと

seanas 晩冬から春にかけての地面に面した乾いた粗い雪のこと

…こんな風に、北サーミ語には「雪」を表す表現が、彼らの生活様式や自然への観察眼を反映させて、非常にバラエティ豊かに存在しているそうです。

日本語だけしか知らなければ未知の世界観が、外国語として言葉を学び、その意味と背景を理解することで、グッと自分のものになるとは思いませんか。

それはペラペラ話すための道具ではありません。

自分を豊かにし、人生を良く生きることそのものだと思います。

とあるインフルエンサー実業家が、外国語は、DeepLという翻訳サービスや、リアルタイムチャットGPTでの同時通訳を利用すればいい時代になっているとおっしゃっていましたが、それはあくまで実用的な情報伝達のレベルでの話です。

外国語学習が不要になる時代は来ません。

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